「……グリフィン、大好き」 ほんの数秒足らずで、触れただけの口付けが終わる。 俺から離れたウィニエルの笑顔は、日の光を受けて輝いていた。 ああ、やばい。 かなり、眩しい。 俺、病気かも。 ただの数秒、触れ合っただけなのに、なんてこった。 あいつからキスされるなんて思ってもみなかったから、俺は動けなかった。 今までにキスは何度もしてるが、あいつからされるとどうにも動けなくなる。 「……ねぇ、グリフィン」 「ん?」 あいつは俺の首に手を回したまま訊ねた。 俺もあいつの腰に腕を回して、両手を組む。 やっと、いい雰囲気になってきたんじゃねぇ? などと思っていた。 「グリフィンは、嘘吐きが嫌いなんですよね?」 「う、ん? だからそれは……」 たまたま流れで出ただけであって。 いや、 確かに嘘吐きは嫌だけどよ。 「……私、嘘吐きですけど……いいんですか?」 ウィニエルが小首を傾げながら笑った。 「え?」 まさか、カミングアウト? ウィニエルって嘘吐きだったのか。 「……約束なんて本当はしてなかったんです。したと思ってただけで」 「ん?」 「……私も今日夢を見て。グリフィンとここに来ようって約束した夢なんです。私ったら、あんまり幸せな夢を見たから、現実と被っちゃって」 あいつは俺の首から手を外して、気まずそうに五本の指の腹を合わせ人差し指だけ、交互に小さく円を描く。 「は?」 「えと……つい、ぽろっと。あなたは悪くないのに当たったりしてごめんなさい」 俺がぽかんと口を開けると、ウィニエルが苦笑いを浮かべ、謝った。 いや、謝らなくても。 お前の思い込みは今に始まったことじゃねぇし。 けど、 「……お前、夢でも俺と一緒なのか」 「え? はい。……め、迷惑でしょうか?」 ウィニエルは上目遣いに俺をみて、訊ねてきた。 あいつの一言一言が、俺の胸を締め付けていく。 握りつぶされる痛みじゃなく、吸われるような痛み。 その痛みは次第に心地よくなって、甘くなり、俺を翻弄する。 「いや、すげぇ嬉しい」 「えっ……あっ」 俺はあいつの肩を抱きしめた。 あいつの顔が俺の胸に埋まる。 あいつの手が俺の背に回る。 なんで、こんなに胸が締め付けられるんだろう。 なんで、こんなに愛おしく感じるんだろう。 愛してるって、こういうことなんだろうか。 ウィニエルもそう思ってる。 この幸福感を言葉に表そうとしたらどういう風に言えばいいのか、俺にはわからないけれど。 守っていこう。 ウィニエルを一生守っていきたい。 あの時も言ったけど、あの時よりも日を重ねるごとにあいつへの想いが強くなっていく。 想いが膨らんでいく。 それはきっと、まだまだ大きくなっていく。 どこまでも、抱えきれないくらいに。 「グリフィン、また一緒に来てくれますか? もうちょっとしたら花が満開になると思うので」 ウィニエルの息が俺の胸元に掛かった。 「ああ。山賊を倒したらな」 「はい……」 俺達二人を春の温かい風が包んで、祝福する。 だが、あいつにはまだ空気が冷た過ぎるのか、俺にしがみついて来た。 その姿がまた、愛しい。 ◇ 「とりあえず、今日はもう帰るか。奴等の動向も探らなきゃだしな」 「はい」 俺とウィニエルは家に帰ることにした。 ここに来た時はお互い一人だったのに、帰りは手を繋いでいる。 丘を登り、廃屋を横切り、反対方向へと下る。 森の中へ足を踏み入れ、土を踏み慣らしただけの、来る時走ってきた細い道を二人で歩く。 「薄暗くて恐いですね」 あいつは繋いでた手を放し、俺の腕にしがみ付いて周りを見ないようにしていた。 確かにこの道は薄暗く、道脇、森の奥に目をやれば昼間だというのに、暗い闇が広がっている。 ウィニエルは人間になってからというもの、闇が苦手になってしまったようだ。 夜の闇は平気らしいが、夕刻や昼間の建物の影、薄暗い空間が嫌らしい。 影を警戒して、街の路地には入りたがらない。 大体日の当たる場所に居る。 訊ねてみれば、天使だった頃は光に守られていたから恐くなかった、と言う。 でも今はその光がないから警戒しておかないと、と。 「何の警戒だよ」と言えば、「堕天使がまた現れたら大変ですから」なんて言いやがった。 堕天使を倒したばかりだというのに、まだ警戒しているらしい。 確かにあの野郎は消える前に捨てゼリフを吐いていったけど、復活するにしたって俺達が死んだ後の話だろうし、そんな未来のことまでウィニエルが心配することはないと思うんだが。 っつか、人間になってから警戒してるなんつったって、 俺から見たら、ただ恐がってるだけにしか見えないんだけどな。 やせ我慢もいいとこだ。 まぁ、少しずつ俺に弱音を吐くようになって来たし。 俺を頼ってくれてるから、いいか。 「…………」 俺の腕を掴むあいつの腕の力が強まった。 ウィニエルは俯いて俺に方針を預け、歩みだけ進める。 やっぱり、恐いらしい。 俺は平気だが、ウィニエルはよくこんな道を一人で歩いてこれたもんだと関心しちまう。 「よく一人で行けたな」 と訊ねると、 「……本当、自分でも驚いてます。こんなに薄暗い道だったなんて。ティアと一緒の時は気が付かなかったから」 と返してきた。 何でもリディアと来た時は、リディアがずっと喋っていたから周りなんて見てなかったという。 道は森に入る入口さえ間違わなければ一本道だから覚える必要もなくて。 多分、リディアも恐かったんだろう。 自分の恐さをウィニエルに悟られ、恐がらせまいとして饒舌になったんだと思う。 ウィニエルも無意識だがリディアの話に夢中になったんだと思う。 俺はリディアじゃないから、ぺらぺら気の利いた話を喋ったり出来ない。 その代わり、あいつの不安を受け止めてはやれる。 「……俺がついてるから大丈夫だって」 俺の腕にしがみ付くあいつに微笑み掛けてやる。 「はい」 ウィニエルは顔を上げて俺に微笑み返した。 それから安心したのか、腕の力が少し緩む。 密着したあいつの温もりが少し離れると、俺は妙に淋しくなった。 ……別に、もう少しくっついててもいいのに。 ……残念だ。 ……俺はアホか。 「グリフィン?」 「お、おう」 あいつに声を掛けられて、邪な考えが一瞬過ぎった俺は慌てて話の種を探した。 何か話しながら歩いた方が、よりあいつの不安も解消されるだろうし。 「……そういえば、お前、何であんなこと言ったんだよ?」 「え?」 「さっき」 俺が言いだしっぺとはいえ、売り言葉に買い言葉のようにあいつが言った言葉を俺は一言一句違わず覚えていた。 それを、あいつに言ってやる。 「天界に帰ってたら別の世界に派遣されて、別の勇者と出会って、新しい恋をしてたかも……とか言ったろ」 「あ……えっ!? よ、よく覚えてますね……」 ウィニエルが俺の記憶力に驚いたのか、目を丸くして俺を見上げた。 「なぁ、何であんなこと言ったんだよ」 「そ、それは別に、かっとなって、たまたま口から出てしまっただけで……」 俺の問いにあいつは口篭る。 「……いくら怒っていても、少しも思ってもない言葉を咄嗟に出したりなんかしないんだろ?」 「ええっ!? それも覚えてたんですか!?」 俺があいつの言った言葉をそっくりそのまま言ってやると、ウィニエルは信じられないという顔で俺を見た。 少し、訝しい顔つきをしているような気もする。 「なぁ、どうなんだ?」 「そんなこと忘れて下さい……」 あいつは気まずそうに口元に片手を添えた。 しょうがねぇじゃん。 お前の言うことは全部覚えてるんだから。 「なぁ、答えろよ。俺、かなりショック受けたんだぜ?」 俺はあいつの情に訴えるように眉尻を下げ、訊ねた。 こう訊ねたら、優しいあいつはちゃんと答えてくれるって、俺はわかってるんだ。 「……うう……そんな顔しないで下さい…… 本当につい出ちゃっただけなんですよ? 忘れて下さい……」 ウィニエルは俺と同じように眉尻を下げ、困った顔で首を横に数回振るう。 「……納得のいく理由を聞いたら忘れてやってもいい」 多分忘れないけど、そう言ってやった。 「理由? ……うーん……本当に何にも考えてたわけじゃないのに……うーん……」 あいつは俺に寄り添ったまま宙を見上げたり、地面を見たり考えを巡らせていた。 俺は夢のことがあったからつい言ってしまった。 ウィニエルはどんな理由でそう言ったんだ? 「……作ってもいいぜ?」 「え?」 「こじ付けでもいいから、俺を安心させてくれねぇ?」 俺は、少々情けないかもしれないが、無理にでも理由を作って安心させて欲しかった。 夢の中のあいつのように、 もし天界に残ってたら、別の世界へ降り、別の勇者と恋に落ちていた? そんな話、冗談でも聞きたくない。 俺以外の男? ……想像すらしたくもない。 「グリフィン……」 あいつが頭を俺の肩へと寄せた。 温かい。 ほのかな花の香りが、ウィニエルの髪から香る。 もし、 あいつが天界に還っていたら。 ウィニエルのこの温もりが無かったら、今の俺はどうしてたんだろう。 ……考え始めると、 切なくて、同時恐ろしくなる。 あいつと会うまで、こんな風に恐れを抱いたことはなかった。 嫉妬なんか知らなかったし、何でも笑い飛ばせた。 それが俺らしさだったとしたら、あいつはそれを見事に歪めてくれた。 基本的な部分は変わってない。 それは多分、あいつも同じだと思う。 不安。 俺にとっての不安はいつもあいつだ。 あいつが地上に残ってくれた時から、あいつがいつ居なくなるかと毎日不安だった。 さっき、 自分の居場所は俺だと言ってくれたからそれは解消されたが、どうにもその 前の言葉が気になる。 それを取り除いて欲しいんだ。
to be continued…